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科学啓蒙作家の塾「田井塾」

「田井塾」心の泉:彼方に像を求めて(4)2017年05月24日

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 この世に存する限り、人は人としてプロである。人は勉強を手段に己の心に「泉」を見出し、いつしかそこに「美」が映えるを知る。これをして彼方に「像」を予感し、それを求めて今を生きる。-田井-

・・・・・序奏・・・・・
●C.Danvers-C.Sigman-・・・「TILL(愛の誓い)」

☆「彼方に『像』を求めて(3)」でお話しましたように、地球は「重力」の作用で太陽の周りを円運動しながら「等速直線運動」することによって「静止状態」となり、であればこそ私たちはここに「存在」しています。この極寒の宇宙空間の中に地球が「泉」となって「存在」すること自体が科学的に再現「不可能」なこと、まして私たち一人ひとりが「私」として「存在」しているとなると、心の奥底から湧き出すこの感動に「奇跡」を対応させ、必然として神の存在を意識します(前回もお話しましたが、「普遍性」の立場から、それぞれの方が心に抱く「神」が神です)。
 このページでは、真に「美」なるものを見出すための前段階として、まず「不可能な状態の中の可能性」として考えられるモデルを日常生活の中から探してまいりたいと思います。なお、下記の文章はこのページにお出でくださる皆さまに捧げます。どうか、精神的に共に「ビジネスマッチング」の土台が築けますように。(2017.3.5記)

・・・・・・・・「不可能性の中の可能性」のモデルとして・・・・・・・・

☆もしかすると、「エ、また?」と思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、お認めくださいますように。
 私は小学生時代を北海道の山奥で過ごしました。父は農業と林業を営んでいましたが、夏になると冬に切り出した高木をトラックに積んで製材所に運ぶ仕事が始まりました。夏休みはよく父に付いてさらに山奥の飯場に行き、そこで若い衆たちに交じって数日を送りました。この間、私は山の探検と称して毎日体中に擦り傷を作りながら背丈以上の熊笹を掻き分けて歩き回りました。
 ある日、こうして探検している時のこと、白樺の木が山ブドウの蔓(つる)4,5本に絡まれ、ひ弱に立っている小さな空間に出くわしました。蔓は白樺の木から2mほど離れたブドウの木の根元から馬の背となって伸び、白樺に触ると大きくコブを作って向きを変え、そしてアオダイショウの群れさながらに絡まって這い上がっていました。そこはブドウの勢力が強く、下草の中に熊笹が所々に生えているだけでしたが、よく見ると、何と、この白樺の木の根元を源として水が湧き出し、三日月状の「泉」に沿ってブドウの木の根元に流れ、消えていました。
 私は、新鮮な青臭い匂いを空間に漂わせ、丈をそろえて短く生える下草に人の気配を感じ、辺りに足跡を探しました。その時です。風は笹に波を作ってうねり、走り、大波が浜辺に打ち寄せるように、ザワーッと、私の前に葉を一斉に垂らしました。ところが、風が過ぎると、笹は、あたかも私の知らない力に畏まって押し黙るかのように直立し、すると周りに音のない音が広がりました。急に背筋に寒気が走り、思わずその場にしゃがみ、顔を伏せました。目をつむって息を凝らし、静けさの中に音を探しました。
 すると、国道に通じる山道を丸太を山と積んだトラックがエンジン音を微かに高めて近付くのが聞こえました。それからいつもの所で速度をゆるめ、一方の車輪をぬかるみに入れ、車体を大きくかしげ、エンジンを全開させ、そこを抜け出すと、音が軽くなってさらにこちらに近付き、それからほんのわずかして、今度は車体を反対側に大きくかしげ、また車輪をぬかるみにはめ、エンジンをふかし、しかし、今度は唸りを上げたまましばらくスリップし続け、とうとうそこを抜け出すと、そこで立ち止まり、するとあたりにプルルン、プルルンと軽快な音が響きました。これで一息つくと、音はこちらに少し近付き、一瞬大きくなり、それから徐々に徐々に遠ざかって行きました。これを聞き、人の気配を近くに感じると、私はまた勇気が湧き、いつものように好奇心にかられていました。
 はじめ気のせいかと思いました。黒い影が水面を叩いて白樺の根元に向かって走ったのです。しかし、そちらに目を向けると、やはり本当でした。10cmほどの大きさの魚が口とエラを交互に開けながら、小さな浅瀬に体を横たえていました。四つん這いになってそっとそばに寄って見ると、何と脇腹に黒い斑点が走っているではありませんか。それは明らかにヤマベでした。
 「エ、どうしてここに」
 私は思わずつぶやきました。父と川に行っても、釣れるのはウグイばかりでした。父がヤマベを次から次と釣っているそのそばに糸を垂らしても、糸は必ず流れのゆるやかな深みまで流され、釣れるのはやはりウグイでした。一度も釣ったことのない、どうしても釣りたいと願っているその魚が、目の前に横たわっているのです。
 この頃、私はまだ「奇跡」という言葉を知りません。とは言え、これまで経験したことのない、当り前とは思えないことが、目の前で起こっていることは理解出来ました。チョロチョロ流れる「泉」に力尽きて横たわるヤマベの姿をジッと見詰めていると、ふと『浦島太郎』の話が思い出され、すると、それが汚れのないとても高貴な美しい魚のように思われました。私はとっさに笹に手を伸ばして葉を1枚引き抜き、そしてそれに魚を厳かに乗せると、ゆっくり深みに運び、放しました。
 あれから数十年の歳月が流れました。これだけ時が経つと、印象が薄れて行くのが普通でしょうが、ところが私の場合は、ここを秘密の場所と決め、「もしかすると」とヤマベに変化を期待し、それから家に帰るまでの2日間、朝ご飯もそこそこにそこに通ってひたすら姿を眺めて過ごしました。このため、「あの時なぜそこにいたのか」と今も考えるほど、ヤマベが泳いでいる様子がそのまま鮮明に心に焼き付いてしまったのです。
 もちろん、この問いに対しては、たとえば、父か誰かがそこに放したのだろう、と考えるのがもっとも自然です。しかし、私はこうした推測的な結論でけりを付けられませんでした。そうであってもやはり「なぜ」と苦しむほど、それほどに神秘的だったからです。むしろ、そう疑問を発することによって、心にヤマベの姿が美しく再現され、これによってその存在を「事実」として認識し、さらに発展的に議論しなければ納得できませんでした。
 たとえば、出入り口がなくても「泉」が存在することは「可能」です。しかし、そこにヤマベが存在することは常識的に「不可能」です。にもかかわらず、そこにヤマベが存在している。つまり、「泉」という「場」の中に「不可能」な状態でありながら「可能」な状態が発生している。「いったい、なぜなのか」と。
 小学生くらいの子供にこんな考えが出来るのか、と思われるかも知れません。もちろん、出来ません。しかし、その年の冬、事業に失敗して父が長男の私を頭に6人の子供を連れて母と村を離れ、少しずつ「貧困」状態に陥り、それでも必死に生きる親の姿を通して、私は「不可能」の中に「可能性」が宿ることを直感していました。なぜなら、であればこそ、私たちの貧困生活にヤマベの存在可能性をモデルとして対応させ、親の励みとなるべく必死に勉学に励むことが出来たからです。
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