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「田井塾」心の泉:彼方に像を求めて(2)2017年03月25日

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 この世に存する限り人は人としてプロである。人は勉強を手段に己の心に「泉」を見出し、いつしかそこに「美」が映えるを知る。これをして彼方に「像」を予感し、それを求めて今を生きる-田井-

・・・ 序 奏 ・・・
 ・-C.Danvers-C.Sigman- 「TILL(愛の誓い)」

☆下記の文章を、適切に対応してくださいました小岩消防署北小岩出張所の救急隊員の皆さま、病気の完治にご尽力くださいました森山記念病院(北葛西)の白水秀樹医師をはじめとする関係者の皆さまに捧げます。なお、本文を書くにあたり機能回復のために献身的にお支えくださいました白戸由香里指導員に助言をいただきました。ここに心から感謝申し上げます。(下記文章を「ビジネスマッチング」の派生的モデルとして、白戸さんの名誉を汚すことなく書き進めますことを誓います。)(2016.12.10記)☆

●私田井正博(民生・児童委員、科学啓蒙作家)は子ども家庭支援センターからお声が掛かり、数日後ウクライナ出身のお子さんがお通いになっている中学校からお母さんを交えての面談の際にロシア語通訳をしていただきたいとの要請を受けました。私はこれを「理系・文系特別研究会」の活動の一環としてお受けしました。
 中学校の担任の先生を介してお母さんと話をしている時でした。私はロシア語がいつものように口から流れるように出ていないことに気付きました。それから約1カ月後にお子さんを交えての面談の時も、やはり私の状態は変わりませんでした。実は、それから1週間後の11月30日深夜、私は立ち上がった瞬間にふらつき、そのまま腰を下ろしてしゃがみ込み、倒れてしまいました。この時、家族のとっさの判断で救急車に出動を願いました。
 手術後、主治医の白水秀樹医師が、救急車を呼ばずそのまま安静状態を保ち、たとえ朝一番に病院に駆け付けていたとしても、脳の血管から出血している量が150mlであることから判断して、少なくとも認知症、半身不随になっていたことは間違いないとおっしゃったとのこと。意識が戻ってこのことを聞き、医学が技術的に進歩すればこそ私は人としてこの世に存在し得ている、これこそが「奇跡」ではないかとしみじみ思い、「ああ、神よ、我はかくも幸運なる存在か!」と天を仰ぎました。今も心に「美」として感覚するこの感動を、「民生・児童委員」としての立場でここに記し、末永く大切にさせていただきます。
 たとえば、まず、救急隊員の方々の救出活動によって救急患者の命が守られていることを私自身を患者として体験することが出来ました。お二人の隊員の方に両腕を抱えられて担架まで運ばれ、そこで横になり、そのまま救急車に乗せられたのまではうっすらと覚えていますが、それから先は記憶がまったくありません。しかし、後から聞いた話ですと、救急車はなかなか出発出来ませんでした。どちらの病院も急患の対応に追われ、受け入れる病院がなかなか見付からなかったからです。隊員の方は次々と電話を掛け続け、そして約30分後の午後11時頃ようやく受け入れ先が見付かったとのことでした。それは脳神経外科で名を成す森山記念病院でした。民生・児童委員の集まりなどでは、自分の担当地域のご高齢者が急病で救急車を呼んだ場合の心構えなどを話し合ったりしていますが、救急隊員の方はいかなる場合もこうして患者の命を守るべく機敏に行動していることを実感し、心から敬意を表しています。
 次に、話は病院内でのことに移っていくことになりますが、ここでまず自分のお恥ずかしい失態をさらけ出さねばなりません。私は「民生・児童委員」としてつねに「いやがらせ」、「いじめ」、「虐待」という言葉、中でも「虐待」という言葉は細心の注意を払って使用しています。ところが、その当の私が「恩人」の白水医師にこの言葉を使って抗議をしてしまったのです。原因は、手術を終え、ベッドに横になっているにもかかわらず、このことを私が全く理解していないことにありました。
 意識が戻るにつれ、私は真っ暗闇の中にいることに気付きました。手を動かそうとすると、両手が大の字にベッドの手すりに縛られています。解こうとして手首を動かすと、かえって固く締め付けられ、痛くなるばかりでした。それでも低い声で唸りながら必死に手首を回していると、女性(私は彼女が看護師であることに気付いていません)が懐中電灯を点けて部屋に入って来ました。私は彼女に「何でこんなことをするのか」と抗議しました。彼女が去ってしばらくすると、部屋に明かりが点き、白衣を着た男性と女性が入って来ました。私は彼らに「これだと虐待ですよ」と抗議しました。すると、男性は、今は切り開かれた頭の部分を通して脳の周囲から血液を抜いている最中であり、万が一針を抜かれでもしたら大変なことになるので、こうせざるを得ませんと説明しました。何と、私はここに入院していたのです。
 そうとは知らず、私は感謝すべき先生に「虐待」という言葉を使って何度も抗議したのです。当然ながら、これを悔み、苦しみました。しかし、看護師さんがお出でになり、その度に「大変失礼なことを言ってしまった」と悔やめば、彼女たちはそれぞれに「病気が言わせたことですから、気にしない」と言い、おかげで心が徐々に穏やかになっていきました。そして、術後5日めの朝、院長先生がお出でになられ、手術が100%成功されたことを親身に喜び、「バンザイ」をしてくださいました。この時、お側の白水医師が「いつ退院してもいいですよ」と気さくに声を掛けてくださり、これでこれまでの後悔の念が瞬く間に消えていました。
 言うまでもありませんが、これまでの話に作為は一切ありません。もちろん、これからの話もすべて自然のままです。たとえば、白戸由香里さんの指導の下で機能回復に向けて訓練を開始した時でした。廊下で歩行訓練をしているとき、壁に目を向けると、患者さんへの基本的な考えが書かれた「院是」が、そしてその横に、この病院が厚生労働省が「従業員」のために掲げる労働条件を完全に満たしている病院であることを謳った文章が掲げられていました。これを読んだとき、厚生労働大臣から民生・児童委員としての活動を委嘱されている私は、この病院に入院すべくして入院しているのではないかと思いました。
 また、退院を翌日に控え白戸さんと5階のリハビリセンターに行った時のことでした。全面ガラス張りの窓の前に立つと、空を真っ赤に染めた夕陽を背景にスカイツリーが黒々とそびえていました。この光景に見惚れ、それから目を病院の下まで移動させると、何と木々が鬱蒼と茂る森の中に「江戸川区立共育プラザ葛西」がありました。「共育プラザ小岩」で民生委員の個人的テーマとして活動している私は、これを見て、与えられた後半生に自然に宿命を感じました。その時です。木枯らしが一陣吹いて、森の中の木々が葉を金色に散らし、舞い上がり、その一枚いちまいが夕陽に赤く染まった一瞬、私は白戸さんと「うわ、きれい」と口をそろえました。
 この病院を「泉」とすれば眼前に大胆かつ繊細に広がる光景は水面に映える「美」そのもの、私は必然として、彼方に病院の「理想像」を予感していました。皆さまに心から感謝しております。
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