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西川耕雲堂

判屋から見た「象牙」の在り方#後編2019年12月03日

5. 象牙の歴史と世界観
象牙は古くから、密度が高く切削加工しやすい素材として珍重された。ヨーロッパの旧石器時代の遺物には、マンモスの牙に人や動物の像を刻み、投槍器のような道具を製作した例が多数ある。紀元前5世紀には、古代ギリシアの彫刻家ペイディアスによって象牙から彫られた女神アテーナー像がパルテノン神殿に飾られていた。イスラム圏では、イスラム美術の複雑な幾何学パターンを彫るのに非常に適していた事や、インドやアフリカとのアクセスのしやすさ等から、ヨーロッパより不自由することなく大きな象牙製品が作られた。特にその重量感と温かい風合いは多くの人に好まれる所で、ピアノの鍵の代名詞でもありビリヤードの流行の際にはビリヤードボールを象牙で作ることが一般的であった。しかしこの素材は高価で、また乱獲により得がたくなってきたことから、これに代わる素材の開発が求められ、19世紀に入って「セルロイド」が発明された。象牙の国際取引を禁止するワシントン条約が発効した1989年以後、多くの国では象牙の国内取引も禁止された。それ以後もアジア諸国では根強い需要があったが、2017年の中国市場の閉鎖、2021年の香港市場の閉鎖をもって、日本以外での象牙の歴史は終了する予定。
(1)日本
古くは「正倉院宝物」となっている工芸品の素材として用いられており、珊瑚(サンゴ)や鼈甲(ベツコウ)に並んで珍重されたことがうかがえる。
その後、象牙工芸品はしばらく姿を消すが、鎌倉・室町時代には日本に象牙の流入があったことが確認されている。主たる輸入先は中国・東南アジアである。だが古代には南部には相当数いたとされている中国の象も、唐の時代にはほぼ絶滅したと言われており、もっぱら東南アジアから中国を経由して日本に入ってくるルートが用いられていたようである。
『室町殿行幸御飾記』によると、足利将軍家には象牙製の棚や卓があり、筆や筆刀、菓子の器などにも象牙が用いられていた。三味線のバチも象牙で作られ、茶道具でも茶杓や掛け軸の軸に使われた。特に茶入の蓋、牙蓋は特異な使われ方をしている。茶入と牙蓋とのバランスが重視され、傷や古さが逆に評価されることもあった。蓋に生ずる傷、これを一種の風景や文様のように扱い、茶入と組み合わせて生ずる人工的な風景を、自然の風景に見立てていた。
江戸時代には象牙工芸は高度な発展を見せ、根付や印籠などの工芸品に優品が存在する。明治時代以降象牙の輸入量が増えると糸巻の高級品に象牙が使用されさらに象牙の置物も広く珍重されるようになった。大正・昭和に入ると西欧のパイプ喫煙文化が導入され、パイプが主な象牙製工芸品となった。この頃には仏師など西洋化によって仕事の減った職人が象牙加工業に進出するようにもなっていった。これらの伝統的象牙工芸品は明治維新以降のイギリスを中心とした海外交易(主に緑茶の輸出)の際や第二次世界大戦後のアメリカ進駐軍が根付や印籠のユニークなデザインや精巧な加工に目を付けるなどしたことで、数多くの工芸品が海外に流出し、特に江戸時代などの芸術性の高い根付などが有名美術館で多数展示されている。特にイギリス方面ではこれら根付のコレクター市場がある程で、ヴィクトリア&アルバート博物館に展示されている根付コレクションは有名であろう。なお、欧米には根付専門のコレクターも存在するほど人気が高い。
 ここで話を変えて、高度成長期にはサラリーマンが増え、高額商品の分割払い(ローン)購入が普及することで象牙製の印章を実印とするための需要が飛躍的に伸びて輸入された象牙消費の9割が印章に加工される時代があった。彫刻師では菊地互道 (1887-1967)先生 や安藤緑山 (1885?-1955)先生 等、有名な人物が居たが、今日では象牙の彫刻師は需要の減少と高齢化が進み、現在は東京や京都に数えるほどの人数しか存在しない。象牙の国際取引を禁止する「ワシントン条約」が発効した1989年以後、多くの国では象牙の国内取引も禁止されたが、日本には印章業界を中心とする根強い需要があるため、2016年現在も象牙市場が存在する。日本の象牙市場は2000年代以後インターネットを介した象牙の違法取引が急増しており、また違法な象牙を「マンモス牙」などと偽って販売する例もあることから、「インターネット印鑑業界最大手のハンコヤドットコムは2016年8月に象牙・マンモス牙を使った印鑑の販売を終了する」など、インターネットの象牙印章の市場規模は徐々に縮小している。日本の象牙市場の規模は、2016年現在ではピーク時の10%程度となっており、そのうちで印章での利用は8割である。
 ※「CITES」についての取引は「1対1」が原則、つまり「経済産業省」の調査において「個人(代表)」が「顧客」との年間取引を「調査・申告」し、「確認(了承)」を得る。そして、そこには信義則しなければならないこと、所有主の資材(財産)を守る義務が国家にはあるということが示されている。
(2)象牙貿易の禁止と再開に向けた動き
かつて日本は最大の象牙輸入国であったが「ワシントン条約(CITES)」の締結により1989年より象牙の輸入禁止措置が採られ、事実上世界の象牙貿易は終了した。しかしその後、ボツワナ、ナミビア、ジンバブエのゾウの個体数が間引きの必要な規模へ急増。1997年の「ワシントン条約」締結国会議で、ナンバーリングを行う等の措置を条件に貿易再開を決議。1999年に日本向けに1度限りの条件で貿易が行われた。2007年、「ワシントン条約」の常設委員会は監視体制が適切に機能しているとした南アフリカ、ボツワナ、ナミビアが保有している60トンを日本へ輸出することを認める決定をした。なお日本と同じく輸入を希望していた中国は認められなかった。2008年には「CITES」によって許可された象牙競売が開催され、ナミビア・ボツワナ・ジンバブエ・南アフリカの4ヵ国から出荷された合計102トンの象牙(すべて、政府が管理する自然死した象のもの)が日本と中国の業者に限定して売却された。アフリカ諸国では、象牙取引の全面禁止を強く主張している一方で、政治が安定して象の保護に成功しているアフリカ諸国には、備蓄された象牙を他国(2016年現在で象牙の国際取引を望んでいる国は日本のみ)に売却したいと思っている国もある。日本では今も合法的な国内市場が維持されており、象牙の国際取引の再開を要望している。
(3)現状
 「象を保護するためには象牙の国際取引のみならず国内取引を含めた世界の全ての取引を禁止するしかない」と言うのが見解である。国際社会に発言力のある日本が、象牙の国内取引の禁止どころか国際取引の再開を主張していることから、「ワシントン条約」締結国会議でも「象牙の国内市場の禁止」ではなくあくまで「閉鎖の勧告」に留まった。現在は通商産業省主導で全国の関係業者全てに5年有料更改/1年更新(取引報告書提示義務)の法定が周知され今後も国内の象牙製品に関する取引の許可と継続が保証されている。                      
以上

※出展省略(失礼致します。コラムにしては長いですね。)

西川耕雲堂 店主
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