親の介護はギムなのか
最終更新日:2022年08月29日
こんや鍼灸治療室
(平井1丁目)
80歳代後半の女性患者さんから聞いた話です。
女学校からの友人が40年同居した息子から、関西に住む彼女の娘(未入籍の男と同居)のところに行ってくれと言われ、今さら引っ越せというの?と驚きと悲しみの電話が掛かってきたと。
90過ぎの御主人もいるのだそうですがこちらは厚生年金でお金があるので老人ホームに入所させられたそう。
田舎の家を処分して夫婦で首都圏に出てきて共働きの息子夫婦とマンションで同居し孫の世話もしてやっと息子は定年、孫は一人前になった時にお疲れ様と言わんばかりに。
本人には相談なく決められたそうで、その怒りとも諦めともつかない電話を聞いているのが辛いのよと。
また別の例(訪問治療をしている女性の話)では、近所の独居の友人が転倒して大腿骨骨折で手術したのですが、もう一人暮らしの家には戻してもらえず。
同じ平井に住む娘(70歳代)も迎え入れてはくれず、病院からそのまま移された老人ホームから毎日のように嘆きの電話をかけてくる96歳の女性も同様の感情なのでしょう。
もう一例は母娘とも私の患者さんの例で以前に書いたことがあるので繰り返しませんが、これも母親には相談なしで老人ホームでした。
一面ではひどい子供のように捉えられなくもありませんが、この子供さん達の気持ちも理解できます。
最初の例で言えば、子供も自立して定年を迎え住まいをダウンサイズして二人で暮らしたいというのも納得できます。
独身(?)の姉がいなければ話はまた別かもしれませんが、いるなら今度はそちらにお願いするのも選択肢なのかなと思います。
昔から「長男の嫁」は大変だという感じがありましたが平均寿命が延びた現在は自分達も歳を取るのでまさに老々介護、何なら御主人が亡くなっても義母の面倒を見ているという人も介護の合間に治療に来ていました。
市川から週に数回定年後の娘さんが平井の実家に来るという患者さんも「やっぱり娘はいいわよ、よく気が付くからね」と言っていました。
「私も随分孫を預かったからねえ(それも当然でしょ)」というニュアンスです。
この、昔から受け継がれて来たであろう独特の損得勘定もわからなくはないのですがこれからの高齢化では支える方が持ちません。
やはり親と子といえども個々の人間として独立した存在であり、相手が親とはいえ他人の人生を抱え込まないことが自分を犠牲にしないカギだと思います。
2000年4月に介護保険がスタートしたのもそういう不幸を生み出さないために、超高齢化社会を皆で何とか支えるために国が作り出した制度です。
こういった親や子には治療を通して何回か接しているのでそれぞれ両方の立場からの意見もあり微妙に境遇も違うので一概には言えませんが、身体を壊してしまう介護者ほど一途でまじめ且つ閉鎖的だということです。
こういう人は親のために自分を犠牲にしてしまいがちです。心身を壊してしまう前にもっと身軽になってもいいのではないかと思います。
自分も歳をとっていく訳ですから。
8050問題、9060問題とは子供の引きこもりの長期化高齢化問題に関する言葉ですが、介護でも同様なのです。
表題を正確に書くなら「親の介護は自分を犠牲にして自分でやらなければならないのか」ということです。
親の気持ちを考えて、自分の気持ちやりたい事を抑えつけてそれで果たして幸せになれるのでしょうか。
親の人生ではないのです。自分軸で考えるべきではないでしょうか。
難しいところです。
参考: 『母さん、ごめん』 松浦晋也著 日経BP社
女学校からの友人が40年同居した息子から、関西に住む彼女の娘(未入籍の男と同居)のところに行ってくれと言われ、今さら引っ越せというの?と驚きと悲しみの電話が掛かってきたと。
90過ぎの御主人もいるのだそうですがこちらは厚生年金でお金があるので老人ホームに入所させられたそう。
田舎の家を処分して夫婦で首都圏に出てきて共働きの息子夫婦とマンションで同居し孫の世話もしてやっと息子は定年、孫は一人前になった時にお疲れ様と言わんばかりに。
本人には相談なく決められたそうで、その怒りとも諦めともつかない電話を聞いているのが辛いのよと。
また別の例(訪問治療をしている女性の話)では、近所の独居の友人が転倒して大腿骨骨折で手術したのですが、もう一人暮らしの家には戻してもらえず。
同じ平井に住む娘(70歳代)も迎え入れてはくれず、病院からそのまま移された老人ホームから毎日のように嘆きの電話をかけてくる96歳の女性も同様の感情なのでしょう。
もう一例は母娘とも私の患者さんの例で以前に書いたことがあるので繰り返しませんが、これも母親には相談なしで老人ホームでした。
一面ではひどい子供のように捉えられなくもありませんが、この子供さん達の気持ちも理解できます。
最初の例で言えば、子供も自立して定年を迎え住まいをダウンサイズして二人で暮らしたいというのも納得できます。
独身(?)の姉がいなければ話はまた別かもしれませんが、いるなら今度はそちらにお願いするのも選択肢なのかなと思います。
昔から「長男の嫁」は大変だという感じがありましたが平均寿命が延びた現在は自分達も歳を取るのでまさに老々介護、何なら御主人が亡くなっても義母の面倒を見ているという人も介護の合間に治療に来ていました。
市川から週に数回定年後の娘さんが平井の実家に来るという患者さんも「やっぱり娘はいいわよ、よく気が付くからね」と言っていました。
「私も随分孫を預かったからねえ(それも当然でしょ)」というニュアンスです。
この、昔から受け継がれて来たであろう独特の損得勘定もわからなくはないのですがこれからの高齢化では支える方が持ちません。
やはり親と子といえども個々の人間として独立した存在であり、相手が親とはいえ他人の人生を抱え込まないことが自分を犠牲にしないカギだと思います。
2000年4月に介護保険がスタートしたのもそういう不幸を生み出さないために、超高齢化社会を皆で何とか支えるために国が作り出した制度です。
こういった親や子には治療を通して何回か接しているのでそれぞれ両方の立場からの意見もあり微妙に境遇も違うので一概には言えませんが、身体を壊してしまう介護者ほど一途でまじめ且つ閉鎖的だということです。
こういう人は親のために自分を犠牲にしてしまいがちです。心身を壊してしまう前にもっと身軽になってもいいのではないかと思います。
自分も歳をとっていく訳ですから。
8050問題、9060問題とは子供の引きこもりの長期化高齢化問題に関する言葉ですが、介護でも同様なのです。
表題を正確に書くなら「親の介護は自分を犠牲にして自分でやらなければならないのか」ということです。
親の気持ちを考えて、自分の気持ちやりたい事を抑えつけてそれで果たして幸せになれるのでしょうか。
親の人生ではないのです。自分軸で考えるべきではないでしょうか。
難しいところです。
参考: 『母さん、ごめん』 松浦晋也著 日経BP社
基本情報
- 事業所名
- こんや鍼灸治療室
- ふりがな
- こんや はりきゅう いん
- 代表者名
- 鍼灸師 近谷 “ハリオ” 良平
- ふりがな
- こんや りょうへい
- 営業時間
-
月、火、水、金、土曜日 9:00~18:00
日曜日 午前のみ
祝祭日 午後のみ(12:00~18:00)
予約は1時間前までにお願いいたします - 定休日
-
木曜日
- 電話番号
- 03-3636-0050
- Webサイト
- https://s-thoughts.com/
- 問い合わせ
- 所在地
- 〒132-0035
江戸川区平井1丁目4−19 - アクセス
-
平井駅から京葉道路方向へ徒歩11分
小松川三丁目バス停からは徒歩3分(京葉道路から平井駅方向にバス通り右側を約150m) 歩行者専用横断歩道(信号)そば
☆日曜午後は船堀駅から徒歩5分(予約時にお問い合わせください)
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