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科学啓蒙作家の塾「田井塾」

「田井塾」心の泉:彼方に像を求めて(1)     2017年08月17日

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 この世に存する限り、人は人としてプロである。人は勉強を手段に己の心に「泉」を見出し、いつしかそこに「美」が映えるを知る。これをして彼方に「像」を予感し、それを求めて今を生きる。-田井-

・・・・・ 序 奏 ・・・・・
●-C.Danvers,C.Sigman-・・・「 TILL 」(「愛の誓い」)

☆田井塾が創立45周年を迎えられたことに感謝し、下記の文章をア・ベ・ミグダル先生夫妻、有馬朗人先生、飯田規和先生、金光不二夫先生、レフ・オクン先生に捧げ、さらなる精進を誓います(田井には感謝すべき先生が大勢います。どうか事情を察し願います。この文章が「ビジネスマッチング」、「アクティブラーニング」の参考となれますように)。(2016.8.17)☆

●私(田井)は大学時代東京理科大で物理学を学びながら東京外語大の飯田規和教授にロシア語の指導を受けていました。
 もともと英語が得意で、将来は物理学と英語を使って翻訳の道に進もうと考えていたのですが、英語ではかなり厳しいということが分かって来ました。ある時、学食でラーメン・ライスを食べていると、ふと、「語学ではロシア語が一番難しい」と話す声が聞こえて来ました。私は「これこそが私にもっともふさわしい言語だ」と思いました。さっそくロシア語を始めることにし、まず、電話帳でソ連(現ロシア)大使館の番号を調べ、電話し、ロシア語専門学校として当時代々木にあった日ソ学院(現東京ロシア語学院)を紹介していただきました。実は、ここは東京外語大の先生方を中心としてロシア語の普及を目指して創設された学校でした。
 事業に失敗し中学1年の私を頭に6人の子供を連れ北海道から東京に出て来た父が母と現場で働く姿に、私は現実の厳しさを知りました。しかし、私が精神的、物質的に豊かな生活を経験した後に父が事業に失敗したことは私には幸いでした。かつての心豊かな生活を思い出すと、胸が熱くなり、あの頃の生活に戻りたいと願い、それには人が苦手とするものを勉強するのが一番だと日々努力を重ねることができたからです。
 こうして、いよいよ大学2年、午前中はロシア語、それから急いで飯田橋に戻って、午後は理科大で物理学を学ぶという生活が始まりました。もちろん、生活は禁欲的であるべく徹し、少しの時間も惜しみ、ロシア語の文法は電車の中での往復の時間を使って文法書の例文をがむしゃらに覚えました。親が借金をして日ソ学院の入学金まで用意してくれたので、当然でした(なお、得意な英語を生かして構文の違いを考えながらの暗記でしたので楽しかったです)。
 そして、幸いなことに、この生活の中で外語大の飯田先生と知り合う偶然に、またこれを機会に外語大の研究室や、所沢のご自宅を訪問する幸運にも恵まれました。のみならず、3年後に両方の学校を卒業すると、先生は西荻窪にお住いの友人である翻訳家金光不二夫先生に私を紹介してくださいました。先生が「よろしく頼む」と私を紹介すると、金光先生は「あ、いいよ、分かった」とおっしゃって、快く弟子にしてくださいました。ソ連が人材育成の要として重視する科学普及書を日本に紹介する上で中心的な役割を果たした、そのよう偉大な先生の側で翻訳活動ができたのでした。もちろん、理科大の教授が私が大学院に進むことを期待するほどの成績を収めての翻訳家としての第一歩でした。
 しかし、それから約15年の歳月が流れると、悲しいことに、先生の側での翻訳活動は終焉を迎えねばなりませんでした。ソ連の社会主義国家としての体制に亀裂が生じ、研究者たちはこれまでのように科学啓蒙書を書く環境が少しずつ失われ、私たちの活動にも影響しはじめていたからです。ある日、先生は「これからは別の道に進むしかないよ」とおっしゃいました。これを機に、自分の道を模索することにし、たとえば、翻訳仲間でソ連の新聞情報を業者を介して三井物産等に提供する仕事をしました。しかし、仲間に払う翻訳料を業者に請求すると、「田井は金に細かすぎる」とお叱りを受け、将来的な観点から活動を中止しました。
 こうした貴重な体験を通して、今までの翻訳活動が自分の性にもっとも合っているとつくづく思い、まずソ連の新刊予定情報誌に目を通すようにしました。今振り返ると、これだけで私の最大の「ピンチの時」が精神的に余裕のある「チャンスの時」に変わっていました。「自分の納得出来ていない翻訳書を今こそ読み直すべきだ」と、チェルニンの『時間のはなし』(東京図書、1987年)を手にすると、何と、これを土台に自分で『時間論』を書き始める準備に入っていたのです(なお、近くの図書館に所蔵されていたチェルニンの貴重な一冊は、悲しくも、図書館が移転する際に有効利用的廃棄処分を受けてしまいました)。
 さて、1989年、再び学生時代のように病的なほど一途に集中し、時間に関する知識をPCを使って用語ごとに整理している時でした。著者が誰かも知らず、ただ書名だけで予約していた一冊がロシア語専門書店から送られて来ました。何気なく目を通すと、何と、それは科学技術の中核をなす「量子力学」を21世紀の到来を意識して、「相対性理論」を交えて統一的に説明しようとする意欲が感じられる啓蒙書でした。歯切れのいい文章の勢いをエネルギーとして、自分のテーマの『時間論』と並行して、直ちに翻訳を開始し、2年後の1991年2月8日に作業は終了しました。
 ああ、神よ、我はかくも幸運なる存在か!とまずここで表現する非常識をお許し願います。実は、出版されて当然という気持ちで、出版社に原稿を持ち込みました。が、ソ連国内がかなり混乱しているので著者と連絡が取れないとの返事。そこで方法を考え、本の裏に書かれている住所の出版社留めにして、著者のミグダル先生にロシア語で直接手紙を書きました。すると、返事が1カ月以上も経って、しかも、先生の弟子で友人でもあるレフ・オクン先生から来ました。それは、かつてアインシュタイン、湯川秀樹といった科学者が研究していたかの米プリンストン高等研究所にて、ミグダル先生が2月9日に逝去された旨を伝えるものでした。しかし、ああ、何と、日本での出版には夫人のタチアナさんが支援するとの言葉が感動的に書き添えられていたのです。こうして本はオクン先生に『まえがき』をお書きいただき、『量子物理のはなし』と書名も新たに東京図書より出版されました。
 さいごに再び、ああ、神よ、偶然を必然とせるその技よ!実は、夫人から先生の写真と資料が送られて来ました。何と先生はかの有名なノーベル物理学賞受賞者エリ・ランダウの弟子で、ソ連の理論物理学の基礎を築き上げた科学者だったのです。『時間論』の都合で数年の時を経てしまいましたが、先生の本をさらに翻訳したく手紙を書くと、驚くことに、夫人から先生の友人の元東京大学総長有馬朗人先生に預けてあるので訪ねて欲しいと返事が来ました。私はさっそく有馬先生に本をお借りし、一気に訳しました。『理系のための知的好奇心』がそれで、先生のお力添えの下、新聞等の書評欄に大きく取り上げられました。そして今、彼方に「像」を求め・・

●この「泉」に映える「愛」が皆さまの心に「美」として映えますように!●
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