江戸川区のものづくり
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サイドメニュ

都内最大級の亜鉛めっき専門工場
有限会社 朝日鍍金工場
服・OEM、染色・プリント加工、後加工までをワンストップで提供する
株式会社 黒沼染工場
金属の塑性加工技術を「チーム」の力で革新する
株式会社 児玉機械製作所
柔軟性・伸縮性・通気性をもつ驚きの布ヒーターの開発
株式会社 三機コンシス
数値で表現できない感性でプラモデルの金型を製作
株式会社 秋東精工
金属の歪との格闘が驚異のカーテンウォールを作りだす
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コントロールバルブで未来を創造する
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株式会社 長島製作所
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株式会社 西川精機製作所
研究開発が命!サンドブラスト一筋
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輝かしい実績が物語る陸・海・空に及ぶ技術
松本産業 株式会社
伝統的な染色方法で風合いを感じる製品を造り続ける
有限会社 村井染工場
有限会社 村井染工場

伝統的な染色方法で風合いを感じる製品を造り続ける

有限会社 村井染工場

 住所:〒132-0024 東京都江戸川区一之江6-17-27
 電話:03-3651-3108
 産業ナビリンク:http://edogawanavi.jp/shop/600104/

  • 代表的な製品は「風合い」、「ぼかし」のある手拭い
  • 早く綺麗が手染めの技 伝統染色の「注染」を生かす

【事業内容】 代表的な製品は「風合い」、「ぼかし」のある手拭い

江戸川百景に選ばれた村井染工場の反物の乾燥風景

 1936年(昭和11年)に東小松川で創業され、1939年(昭和14年)現在地に移転する。目の前の一之江境川で洗いを行っていたが、一之江境川が親水公園となってからは、井戸水を引いて工場内での作業に切り替える。今では、生活様式の洋風化に即応して、浴衣から手拭いに仕事の比重を移した。注文は主に日本橋界隈の問屋さんから受ける。また芸能人や近隣の祭事用などの注文も来る。伝統的な手法を用いて造る同社の手拭いは本来の使い道のほか、インテリアや小物として使われている。

【会社の強み】 早く綺麗が手染めの技 伝統染色の「注染」を生かす

作業風景

 かつては周辺には30数社あった同業者が、今では、東京に4社しかないといわれる *「注染(ちゅうせん)」という伝統的な染色方法で浴衣や手拭いを造っている。注染染めは、裏表同じ色柄に染まり、手作業であるため、機械で生産したものに比較して、ぼかしなどの風合いを感じることができる。型紙は、現在2万枚ほど使用している。但し、お客様からの預かり物である型紙は数10万枚に及び大切に保管している。またの追加注文に備えるためである。

*「注染」とは 型紙を白生地に張りその生地に防染糊をつけることで、糊のついていないところが染められるという伝統的な型染である。

【代表メッセージ】

取締役会長 村井米扶 氏

取締役会長 村井米扶 氏

―― 現在に至るまでの経緯をお聞かせください。

 私がこの世界に入ったのは12歳の時です。自分からこの仕事を継承するという意志はまったくありませんでしたが、親父の命令を聞くことが毎日の生活で、ミスでもしたらもう大変でした。生地をのすときに使用する黒壇の棒で叩かれたので痛いのなんのって。当時は「俺って、本当はこのうちの子じゃないんじゃないか?」と思っていました。でも負けず嫌いでしたので、作業をいち早く習得し、糊付けに関しては、速い人で1日200反を仕上げますが、当時の私は250反の仕上げをしていました。ほんとに負けん気が強かったのだと思います。今でもそうですが。

―― 注染には12工程ありますが、特に匠の技が一番発揮できる工程はどの工程になりましか?

 なんといっても「型を付ける」ことが一番重要ですし、初心者がすぐできるような仕事ではありません。実際うちでも経験豊かな人が行っています。初心者は「洗い」の仕事から行ってもらいます。しかしこの工程は、製品として80%完成したと言ってもいい大事な工程です。洗いの状態が悪ければ製品に結びつきません。初心者からだといって重要な仕事につかせないのではありません。12工程中、1つでもうまくいかなければ製品として認められません。ですから、どの工程も手を向くことができないのです。また昔は自分たちで糊を作っていました。餅粉(餅米の粉)と糠、それに石灰を調合して独自の糊を作りました。そんな試行錯誤の中で、私は軽くてきれいに仕上げる糊を作りました。そのおかげで250反仕上げることができたのです。この糊を作るだけでも一長一短にできるものではありません。しかし、今では糊は出来合いのものがありますから、楽になった点はあります。また昭和30年代に機械化が進み竿をふる作業(上記の会長の洗いの写真参照)はなくなりました。そうはいっても一つの仕事を任せられるようになるには個人差が多少あっても5年はかかります。その5年間の中で染色、型付け、仕上げ等の仕事を教えてもらいながら最初から最後まで任せられるようになるにはあと3年かかります。ただし、染色、型付けなどある工程に特化し、その部分を専門に実施させることもあります。その人の意向に臨機応変に対応しているのが現実です。

―― 製品に関しての変化がございましたらお聞かせください。

 従来は、染める色合いが少ないものが主流でしたが、最近の製品は、色が何色にもまたがり複雑になっています。昔は12色が限度でした。工場見学に来る子供たちの質問の中に「色は何色あるんですか?」とよく聞かれます。「今は無限だよ!」と答えています。お客様からこの色で染めてほしいと要望があれば、うちの女性社員が調合して満足のできる色を創りあげます。また、中国からの染料も入ってきており、より色に関しては複雑になってきています。無限の色を創り出すことはできますが、いろいろな色が隙間なく重なり合う状況を作りあげることはできないのです。柄と柄の間は5~7mmあいていないと色を変えることができないのです。どうしてものりしろが必要となります。そのため色使いによって2回、3回の染色工程が必要となります。

―― 御社を取り巻く環境に関してご意見がございましたらお聞かせください。

 昔は周りには何もなかったです。その当時は、製造過程において重油を使用していました。次第に周辺にマンションや住宅が立ち並ぶことに伴い環境が変わり、臭いの問題が起こると予想していましたので、重油から灯油に変更し臭いを軽減してきました。今では灯油から都市ガスに変更し、臭いの問題は解消しています。騒音に関しては、染色という商売柄、大きな機械を使用して作業をするわけではありませんから、特に問題はありません。

―― 御社には若い方や女性が多いようですが、若い人の採用に関してお聞かせください。

 最近、なぜか女性の希望者が多いのです。今年も新卒で美大出身の女性を採用しました。「ものづくり」に興味がある、特に「染物」に興味のあるということなので冬休みに来て実際に作業してもらいました。いろんな意味で大変だったろうと思いましたが、「自分でやれる自信があるのならおいで。」と言い、この4月に採用に至りました。もっと若い人を採用したいのですが、入社してくれない現実があります。PRが足らない部分は否めませんが、当社としては、競争心を持った若い人が来てくれることに期待しています。


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